■治療学・座談会■
プライマリケア医への助言:うつ病診療のコツ
出席者(発言順)
(司会)中尾睦宏 氏(帝京大学医学部衛生学公衆衛生学・心療内科)
坪井康次 氏(東邦大学医療センター大森病院心療内科)
江花昭一 氏(横浜労災病院心療内科・精神科
村上正人氏(日本大学板橋病院心療内科

うつ,うつ状態とは

中尾 近年,日本では自殺者が年間 3 万人を超え,大きな社会問題となっています。国をあげて自殺予防に取り組むなか,自殺の原因として“うつ病”が浮上しています。2007 年には「自殺対策大綱」が策定され,うつ病の早期発見・早期治療を推進することが掲げられています。

 「私は内科医だから,メンタルな問題は精神科に行ってください」と逃げられない時代になっています。うつ病診療は他人事ではないと,1 人でも多くのプライマリケアの先生方に認識していただければと思います。まず,うつ病とは何かを,坪井康次先生,お願いします。

坪井 うつ病は,古代ギリシャの時代からよく知られた疾患ですが,その本態や関連疾患についてはこれまであまり知られていませんでした。最近になって,脳科学の進歩により新しい知見が発表されるようになり,うつ病に関する理解は格段に進みました。一般の人々にも,うつ状態やうつ症状はよく知られるところになりました。

 まずは身体症状が主で,「なんとなく違和感がある」,「疲れやすい」,「食欲がない」,「あちこちが痛い」と,近医を受診することが多いです。その背景には,「気分が沈む」,「楽しめない」,「いつもよりはつまらない感じ」などが隠れており,さらに詳しく聴くと,「自信がなくなった」,「集中できない」,「判断力がなくなった」,「根気がない」など,そういう症状を訴えることが多いようです。

 いろいろな症状が出現し,それらの原因自体もさまざまですが,“症候群”ととらえるのがよいと思います。また,そう考えている先生も多数おられます。

 健康な人でも失恋すればガックリくる,食欲もなくなる,眠れなくなります。それらもいちおう「うつ状態」と言ってよいと思います。ですが,そういう人たちは,ある範囲で再び普通の状態に戻っていけます。それらは「対象喪失反応」,「悲哀の反応」などと言っています。

中尾 うつ病以外にさまざまなうつ状態があるのですね。そのほかにはいかがでしょうか。

坪井 病的なものとしては,うつ以外に「適応障害」があります。ストレスが加わっているときにどうも気分が沈んでしまう,眠れないなどの種々の症状があり,うつ症状とほぼ同様です。ただ,ストレスの原因になるものがなくなると,比較的早く元気になれるというものを,「抑うつを伴う適応障害」と言っています。

 そういった疾患も多く,治療を要する人たちは,いわば氷山の一角です。ストレスがなくなったにもかかわらず,うつうつとして楽しめない状態の人を「うつ病」と考えてよいのだろうと思います。2 週間以上,この状態が続くと「大うつ病」とすると,米国精神医学会の DSM 診断基準(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorder)は定めています。

 脳内の器質的な変化として,うつ病では海馬が縮小するという形態学的な異常も明らかになっています。セロトニン,ノルアドレナリン,ドーパミンといった物質が少なくなっているのではないかという仮説が,1970〜1980 年に提唱され,選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)が有効であることからも,証明されてきています。

 「うつ状態」とひとことで言っても,そのなかにはいろいろな状態が含まれていて,双極性のうつ病もあります。うつ状態のなかにどういうものが含まれるのかは知っておく必要がありますね。

■増加する軽症うつ病

中尾 内科の先生方は「うつ」の誤診に対する恐れがあるようです。私は講演では,誤診よりも見逃す率のほうが圧倒的に多いのだから,むしろ積極的に診断したほうがよいと訴えているのですが,それは言い過ぎでしょうか。

江花 潜在的なうつ病患者はおそらく非常に多いと考えています。精神科など医療機関を受診する患者数は年間約 90 万人で,以前は 40 万人台でしたから相当増えています。しかし,WHO(世界保健機関)から,うつ病患者の全人口に占める割合は 3〜5%と発表されているので,単純計算では日本のうつ病患者は 500 万〜600 万人になります。ですから,受診者はそのうちの 2 割弱にすぎません。約 8 割の患者は,うつ病の可能性があっても医療機関を受診していないか,ほかの病名でかかっていて,きちんとした治療を受けていないことになります。この潜在している患者さんをどうするかという問題は大きいですね。プライマリケア医が診断と治療に積極的に関わる必要があるほど,軽症から中等症の患者さんは増えています。精神科の先生方だけでは対応しきれないように思います。

■精神科との積極的な連携

村上 精神科の医師だけでなく,一般身体科のなかにも,「うかつにプライマリケアの先生が手を出すものではない」という医師がいますね。

江花 精神科の先生方からすれば,重症化した,あるいは躁転した,という理由で,精神科に何ヵ月か後に紹介してくるなど,けしからんと思われるのでしょう。

村上 後手に回っているというわけですね。

江花 そこで,プライマリケアの先生方と精神科医との積極的な連携が必要ではないかと思います。もちろん,このような連携はあらゆる科において言えることで,たとえば内分泌疾患の患者さんが重症化した場合に,「そんなにプライマリケアで診るからいけないのだ。全部,初めから大学病院に回せ」という話にはならないですね。

坪井 たとえばうつは「こころの風邪」と言われたりもしますが,風邪も肺炎になります。「肺炎になってから来られても困る」,「肺炎になるから,最初から診てはいけない」と言うのと同じことで,うつ状態の人が全部精神科にかからなければいけないことになります。今はむしろプライマリケアの,内科をはじめ一般身体科の先生方で積極的に診断して,積極的に治療すべきですね。早期治療が早期治癒やより良い予後につながりますので,あまりちゅうちょしないほうがよいかと思います。

 また,難治性,こじれてしまうケースもあります。欧米でも日本でも同様で,それは精神科の予後調査でも約 20%とされています。難治化あるいは慢性化する率はほぼ同程度だと言われ,私たちの施設の予後調査でも,15〜20%は治療に 1〜3 年必要としました。

 極端なことを言えば,だれがどう診ても,1〜2 割は難治例がいる。またその何%かは,双極性のうつ病や,何回も繰り返す人です。頻度からみて,最も考えやすい疾患から想定していくのが,うつ病の診断・治療では必要ではないかと思います。

 ただ,治療上の注意点は押さえておく必要があるでしょうし,難しいなと感じたら,早め早めにアドバイスを求めたり,紹介したりすることは大事です。

江花 精神科や心療内科の先生と連携をとって,紹介した患者さんの治療をしてもらい,フォローアップの段階で戻してもらえれば,薬物療法や対応の仕方など,ある程度学べますね。

■身体症状に隠れたうつ病

中尾 うつ病は,精神科の先生が診察されておられるとともに,一般内科の先生方が診ている高血圧,糖尿病の患者さんのなかにも多くみられる点については,いかがでしょうか。

坪井 身体疾患で「うつ」が併発してくる場合はかなり多いと思います。そういう人たちに対し,「うつ」を治療するのと,しないのとでは,身体疾患の予後が違ってきます。それを考えると,もう少し積極的に診断し治療をする必要があると思います。

村上 東京の城北地区の先生方と年 2 回程度集まり,勉強会をしています。テーマは生活習慣病にかかわる「うつ」です。生活習慣病発症の背景にうつが存在することもあるし,生活習慣病の経過にうつが影響するために,非常に特異な経過をたどったり,難治化したりすることもあります。内科系の実地医家はそのような経験をかなりされています。ですから,精神科よりプライマリケアの先生方のほうが,生活習慣病と「うつ」は身近だと言えます。

 さらに,「うつ」によって生じる身体症状も問題になります。ほとんどの「うつ」の患者さんは身体症状を最初に呈しています。自律神経症状,不定愁訴を多数抱えて,種々の科を受診されるので,プライマリケアの先生方を受診する可能性は十分あります。

江花 プライマリケアの先生を受診する「うつ」の患者さんは,主訴が身体症状であることが多いので,それに関する検査をして,異常がなければ「異常がないですよ」と保証して終わり,という対応になることもあると思います。ただ,たとえば「うつ」で自殺をされる人で,精神科医あるいはメンタルクリニックを受診する患者さんはほんの少しです。それでは,医療機関を受診していないかというと,必ずしもそうではないのです。4 割近くの方は精神科以外の科を受診されています。そうすると,身体症状で医療機関を受診していても,本態は「うつ」であって最終的に自殺を選んでいるという事実があるのではないかと思います。

■不定愁訴は身体機能のシステム異常

村上 プライマリケアの先生方が「うつ」の患者さんを認識するきっかけは,不定愁訴が多いようです。今まで自律神経失調症などの病名で表現されてきた,不定愁訴の多い病態がきっかけになると考えています。自律神経失調症という病態は,人間のトータルな身体機能システムの異常です。システムのかく乱や異常を起こす病気で最も多いのがこのうつ病なのです。

 当然,システムの異常ですから,慎重に問診すれば,多彩な愁訴が出てくると思います。患者さんは最もつらい症状と関連する診療科を受診しますから,胃腸症状が強ければ消化器科の先生の所に行きます。そういうシステムの異常を見つけたら,その背景に「うつ」が隠れているのではないかという見方をすることも必要という気がします。

中尾 研究者のなかには,うつ病は視床下部,下垂体,副腎皮質機能のフィードバック・ループでかなりの部分が説明できるという方もおられます。脳の病気というより,そういう発想で診ていったほうが多くの先生に受け入れやすい気はしますね。

江花 脳の機能異常が主であるとしても,脳は全身の総合的な機能を司っているので,各臓器の活動のバランスも同時に悪くなります。脳は代表組織で,いわば司令塔ですが,実際に働いているのはそれ以下の身体機構です。免疫や自律神経,ホルモンなどがアンバランスになっているときに胃腸の機能失調や睡眠障害などが起こるので,それらと脳の機能失調を結び付けて説明できる力が必要だと思います。そうすると,セロトニンなど脳内の神経伝達物質からの説明では理解しにくい患者さんに対しても,きちんと説明しやすいのです。身体的な機能異常に関しては,内科など,一般身体科の先生のほうが説明もしやすいし,患者さんも納得されるというメリットがあると思います。

村上 特に内科系の先生がよく診ておられる“仮面うつ病”や,不定愁訴症候群,自律神経失調症などの病態は,多くの場合,「うつ」そのものはほとんどが軽症です。「うつ」の病態は軽症でも,生理的機能などの身体機能システムの異常が出てきます。精神面での症状は,中等症,重症以降にならないとなかなか出てきません。精神症状が著明に出現するまでに種々のプロセスがあり,身体症状で患者さんが苦悩する期間が 1〜2 年あるのかもしれません。その段階でしっかり診断して治療していかなければなりません。

江花 これまで不定愁訴の患者さんに対しては,診療時間も長いし,いつまでたっても良くならないというイメージがあったと思います。しかし,うつ病の有無に注意を払い,うつ病があると判断できれば,治療体系はある程度確立されています。本格的な精神科のトレーニングを受けているに越したことはありませんし,リスク管理も必要ですが,治療体系にのっとってやれば,実地医家の先生方も十分対応できると思います。

村上 治療により劇的な効果を示す患者もかなりいます。患者さんにとってはたいへんな喜びになります。

江花 さらに,うつ病についての知識が増えれば,不定愁訴の患者を長期に診療しているより,適切なタイミングで専門家に紹介することができると思います。

■うつを疑わせる患者の言葉

中尾 うつの患者さんが実地医家の先生方を受診したとしたら,どのような症状に気をつけたらよいのでしょうか。

江花 経験上最も多いのは,「身体がだるい」という表現です。起床時から倦怠感があり,やる気が出ない,と訴えます。患者さんはやる気が起こらないことと,だるさが同じ「うつ」の症状とは思っていません。「だるいからやる気が出ない」など,因果関係でとらえている方が多いのです。次いで不眠などの睡眠障害でしょうか。

村上 うつの 90%くらいの人が「眠れない」と訴えています。不眠の程度が「うつ」の評価になるという話もあります。

江花 その次が食欲の問題です。食思不振が多いのですが,なかには食べすぎる方もいらっしゃいます。 痛みの訴えも,かなりの数にのぼります。頭痛や頭重感,肩こり,項部痛や背部痛,腰痛などですね。

次のページへ