>   >   >  TOPICS 臨床試験の基盤設備はどう進めるべきか
■JPT-online■
総合討論−中野 重行・堀 正二

中野 本日は,自由な発言をしていただいて,今後の指針になるようなものをいろいろ提案していただきたいと思います。否定的なことを考えていると目標というのはなかなか定まりません。批判なしにいろいろ夢を語っていただこうと思います。

 まず,堀先生のところからお話しさせていただきますと,医療は公共性,社会性ということがいま重要視されるようになって,この辺りは日本の医療者はどうも苦手だったのではないかということ。それから,臓器移植と治験の共通点をおもしろく聞かせてもらいました。受益者と協力者が異なる,ここのところが難しいところで,なかなか一般市民には理解しがたいのだと思います。それからもう一つ参考になったのは,競争原理を導入するということです。

 先生方は論文の査読システムはよくご存じだと思います。一流のジャーナルにはチーフエディターがいて,論文が来た時に査読に回ります。私どもにも回ってきますが,査読は無報酬で,しかも多くの場合 2週間以内という非常に厳しい条件を付けられ,他の仕事をちょっと抑えてでもそれを最優先してやってくれといわれます。無報酬なのになぜそこまで一生懸命やるのかというと, 一つは論文の査読ではチーフエディターからわれわれ自身がモニターされているからです。そこでいい加減な返事を出すと,次から査読は回ってこなくなりますし,学会におけるポジションを失い,シンポジウムにも呼ばれなくなります。

 世界の一流ジャーナルのエディトリアルボードに入れてもらうことは名誉なことなので,努力をするのです。そこには競争原理が働いています。アメリカの治験システムでもいい加減にやっていると,全部外されていきます。質の高いクリニカル・トライアルのできる人たちが残り,さらに一番多くの症例を出している人から,論文の名前の順番が決まっていくのです。そして,その人たちは研究者としての生活をし,次の研究費が入ってくるという仕掛けになっており,これが一生懸命やる一つの原動力になっています。

 これが社会に反することであったらいけないと思いますが,患者さんの役に立ち,世界の医療の水準を高めるのに合致するからこそ,われわれは頑張るわけです。

中野 米国は相互チェックというのが非常に盛んです。例えば大学で先生が学生を評価するけれども,生徒もまた先生を評価しています。

 オーディットはデータをチェックしているのではなくて,エディターがチェックされているというのは,日本とアメリカの感覚はちょっと違うのではないかと思います。

中野 下山先生のお話にありましたが,とにかく研究費の額,オーダーが違いますね。厚生省と FDAのスタッフの人数も違いますが,非常にショッキングなデータです。どのようにこれを乗り越えればいいと考えられますか。

下山 これは先生が言われた文化の違いだと思います。だからよいというものではありません。日本は皆保険制度を真っ先に導入して,税金(予算)をそちらにつぎ込みすぎて,研究開発はやめたというところがありますが,それでよいのかということです。というのは,外国でevidenceができたものにただ乗りするわけですから, GDP世界 2位の責任を果たしていないということになります。グローバルスタンダードが問題になる時代には,日本はあまりにも自己中心的になっているのではないでしょうか。医療費がGDPの 7%というのは世界の20位くらいです。GDPが高くない国のほうが,医療費としても予算(税金)をたくさん使っているわけです。ところが,わが国では医療費は抑えたい,保険料も払いたくない,しかし,サービスは受けたいというのではいけないのではないでしょうか。これだけ国際化して,科学のいろいろなメリットも受けているわけですから,われわれとしても国際社会にお返しをしなければいけないと思います。そうしないと,企業や創薬のアクティビティも落ちるだろうし,いろいろな点でただ乗りという批判を受けることになると思います。

 これはやはり国会議員がそういう制度を作る必要があると思います。アメリカの場合,国家研究法を作ったのはだれかというと,エドワード・ケネディです。ああいう議員たちが,国民の健康と医療をよくする新しい治療法を開発するために,倫理,医学,科学を国民の問題として国会で決議して導入していったから,治験であろうが臨床研究であろうが,ともに国家研究法の規制をかけてくるのだけれども,日本はアメリカのよいところを取ろうとして戦略上ちょっと失敗して,規制も片手落ちで研究費も抑えられてしまっているのではないかというのが私の感想です。

中野 先生のたとえで, 1階を造らずに 2階を造ろうとしたという,まさにそういう感じですね。

 大橋先生からもいろいろご提言をいただいているのですが,生物統計学者の数も,欧米との差が桁違いですね。

大橋 桁違いですけれども,レベルとしては日本が卑下する必要は全くありません。数学,応用数学の伝統はけっこう強いのです。アメリカの製薬会社トップの統計家を見ても,本当に素晴らしいのは一つの会社で数人です。あとは皆Ph.D.をもっているけれども,能力として素晴らしいと思うことはあまりありません。

 先ほど申し上げましたように,少数精鋭で十分対抗できますので,数はそんなにいりません。ただ今はあまりにも少なすぎるということですが,これについてはあまり悲観的にはなっていません。グローバルスタディを組んだり,国際共同の仕事になると,あちらの統計家と話をしながら仕事を進めます。 FDAの申請の場合もそうだし,研究もそうです。この分野は統計家の数が少ないものですから,だいたい話がツーカーで動いてしまいます。例えば癌の統計で,研究のデザインなどをきっちりやっている人は世界で20人もいないわけです。それで話がツーカーだから障壁は全くありません。

 むしろ問題はデータのマネージメントです。これはコストに直結します。治験以外の研究者主導研究では,まとめてみれば日本の研究費が極端に少ないわけではなく,無駄に消えているのかもしれないというところがあって,インフラのところに使われていないような気がするのです。

 JCOGもそうなのですけれども,公的に使えるデータセンターのようなものができれば,研究者主導の研究は非常にやりやすくなるし,その際には,これは私の夢ですけれども,施設のコーディネーターがきちんと配置されれば,そことセントラルのデータマネージメントシステムが直結することによって,コストが1/10くらいにはなるのです。インターネットを使うという仕組みが世界的にはどんどん始まっていますし,日本でもそれは可能ですから,たぶんそこを一気に目指してしまったほうが早いのではないかと思います。将来は治験もそれを使えばよいのです。モニター不在の臨床試験をやるべきだと言っています。モニターは品質保証だけをやればよいので,細かい点まで品質管理をやろうとすると,コストがかかるばかりかムラが出て仕方がありません。

 ですから,コーディネーターとセントラルのデータマネージメントとが直結するような教育をやり,バーチャルQCサークルとでもいいましょうか,一つのプロジェクトに関わる人が,場所は違ってもインターネットあるいはメールを使ってサークル活動をやっていけば,それが日本のよい意味の風土を継承していけるのではないかという気がしているのです。それでコストが下がるということが最も大事です。

中野 つまり,リモートエントリーシステムにして,そのまま入れて,それがデータマネージメントセンターに繋がるというわけですね。これも,日本がこれから求めていかなければならない方向だと思います。

大橋 それを専門とするCROがアメリカなどにもあって,それを買収した会社と日本のCROがまた手を組むということが,数ヵ月で起きます。日本では幸いなことに,大学病院医療情報ネットワークがかなり浸透していて,そこでさまざまな学会の登録を動かしています。98〜100%の抄録がいまやネットワークで送られてくる時代になってきたので,アメリカのシステムより一気に先を目指したほうがよいと思っています。

中野 治験ないしは臨床試験を支援するスタッフとして,スタディコーディネーターあるいは日本では治験コーディネーターという新しい職種がいま始まったばかりです。倉成さんは私どものチーフコーディネーターをしているのですが,ちょうど1年半前はまだこの仕事には全くタッチしていなくて,実際はこの1年少々という状況でここまでになったわけです。この1年あまりのいろいろな感想があると思いますが。

倉成 全国的にみてコーディネーターがいま一番悩んでいるところは,研修を受けたものの病院の中で活用されていないということです。

 どうして活用できないのかというのを,各施設のコーディネーターと電話などで話し合いますと,やはり院内の治験実施体制が一元化されていないために,病院長と所属の管理者の意見が違うなど,組織の管理者の意見がバラバラであるということです。薬剤師の場合,薬剤部長の意見が違うと何も活動ができません。やはり病院の中でリーダーになる人物がいて,病院の管理者レベルのトップに対して何か働きかけて下さったり,実際に治験に携わる人たちにも情報提供をしていただいて,病院全体が同じ方向に向かって進んでいかなければ体制の整備は難しいというのがこの1年間の実感です。

中野 日本の現在としては,今の倉成さんの発言にあるように,医療機関の中にコーディネーターを適正に配置して生かすことが課題となっています。治験コーディネーターのサポートの仕方とシステム作りに関しては,私どもの大分医大は比較的規模が小さくてフットワークの軽い単科大学ですから,動きやすかったということもあると思います。治験は依頼者と病院長との契約であるという日本的な特徴を生かして,センター化しようと考えて動きました。阪大は規模が大きいので私どもの大学とは違うと思いますが。

 簡単に私どもの特徴を申し上げますと,いまご指摘いただきましたように,いかにオーガナイズするかということが一番大事で,私どもはこれを立ち上げる時に院内全体での講習会を何回か開かせていただき,こういうものが必要であると説明いたしました。私どもはいま10人の看護婦さんと薬剤師さんで1人のCRCあたりだいたい担当20症例で動いています。CRCは新GCP対応の治験には全部入っています。私は成功していると思いますが,問題点は人間関係です。こういうチームになってきますと,事務方と薬剤部長と治験センター長,それから CRCの中に看護婦さん出身の方と薬剤師さん出身の方が混ざってきますので,その中をいかにコーディネートするするかというのが,いまの課題であろうと思っています。

中野 大分医大の場合も,全ての治験をコーディネーターがサポートしています。プロトコールによってサポートの内容は異なりますが……。また,サポートの種類と内容も徐々に向上させていきたいと考えています。

下山 ここにも日本的なシステムの問題があると思っています。コーディネーターの専門性を認めるのであれば,CRCという専門職を作ればよいのです。ところが薬剤師さんは薬剤科に所属しないと薬剤師さんの給料は出ない。看護婦さんは看護部に所属しないと看護婦さんの身分の給料は出ない。これはコーディネーターという専門職がないためにそういうことになったのであって,管理系統が別々のものをもってきて,コーディネーターにしようとすると,当然そういう問題が起こってきます。ここはやはり改善したほうがよいと思います。アメリカはどんどん新しい職種を作ってしまうでしょう。日本でもそうやってもよいのではないですか。

中野 まさにそのとおりです。大分医大の場合,先ほどは触れなかったのですが,臨床薬理センターに治験コーディネーターが配属になっていますけれども,ここは日本的ですが,本籍は薬剤部,本籍は看護婦として,現住所は臨床薬理センターとしています。そうしないと,治験コーディネーターの給料はぐんと落ちますので,元の給与体系をそうして保証しているわけです。

下山 ですから,そこで給料を落とさないようにということです。

中野 姑息な話ですが,とりあえずはそういう体制を取っているということです。まさに下山先生のいわれるとおりだと思います。

大橋 独立行政法人化されると,その辺の自由度は増えるのでしょうか。大学はできるのではないでしょうか。

望月 公務員の俸給表というのは人事院で決まっていますので,新しい職種の位置付けというのは大きな検討課題だと思います。

 治験コーディネーターの養成研修では,薬剤師,看護婦が多いのですけれども,臨床検査技師などの職種の方々も対象になります。そういう意味では,今後も窓口は非常に広くというスタンスであろうと考えています。

中野 野口さんからは製薬企業の立場からいろいろなお話を伺いましたが,特に治験がスムースにできるようにするための基盤整備に関するお話が中心だったと思います。それはつまり臨床試験にもつながってくるということです。製薬協で市販後臨床試験の基盤整備に対して何かコメントはありますか。

野口 臨床評価ではなくてPMS部会という専門部会が別にありますのでそこで検討することになっています。

 私はICHに10年前の準備段階からずっと参画していまして,ご承知のとおり発足は医薬品の規制を調和するということでしたから,例えばこの GCPにおいても全部治験,申請のために必要な臨床試験という前提で入ったわけです。しかし,議論の中ではそういう規制上のこともありますが,やはり臨床試験,あるいは臨床研究全体を網羅する基本的な科学的な根拠で議論をしようというベースでありましたので,市販後についても治療的使用といった分類で臨床試験全般を一緒にして議論されてきています。

 それを規制の中でシビアにされるということは当然であるという点が 一つと,例えば臨床試験であっても臨床研究であっても,市販後臨床試験であっても,同じ基盤に則った治験のやり方,あるいは整備,対応を考えてもらわないといけない。ですから,人種差なども科学的にはないとして,個体別の差が大きいということになってしまいました。そうすると,先ほど中野先生がおっしゃった文化のところだけが違って,文化の何が違うかというと,文化の差だけで科学的なベースには何も差がないという結論に達しています。

 唯一文化のことで申し上げますと,例えば日本で 200億, 300億円売れるはずの薬剤ですと,国際的には 1000億円売れるという話になります。その許可が 1日遅れると,たぶん 2億円ぐらいの損になります。1カ月で60億〜100億円,年間で 1000億円の輸出損が出てくるわけです。いま海外の企業からいわれているのは,許可を 1年早めてくれるのだったら 10〜100億円ぐらいは払いますよというスタンス,これが文化の差だと思います。

 日本の場合,それを吸収してうまく使える仕組みがありません。そこをきっちりと決めていただいたら,私どもの個人的な会社はそこでは生き残っていけませんけれども,製薬企業と官と学との間の共同事業としての臨床試験,あるいは臨床研究がもっと進むのではないかと考えています。これは全くの私見でして,会社の意見でも製薬協の意見でもありませんが,そんなところです。

下山 言葉でいえば共同研究なのですが,制度上は受託研究です。ここがまた外国と違うところで,こういう受託研究という形をやめて,共同研究にできないのでしょうか。例えば,開発についてはアメリカが強いのですが,最初から国が相当の研究費を出しており,しかも研究者の研究として新薬の臨床試験をすることが可能で,それを承認申請につなぐことができるわけです。つまり国家の研究費で行った研究を企業に契約して渡す(売る)ことができるというのがアメリカのシステムです。日本ではそういうことは認めないと厚生省はいいますし,研究費も出さないといいますから,その制度を作っていませんが,やはり共同研究のスタンスが必要だと思います。通産省は産・官・学の共同研究をやっているわけです。なぜ厚生省はできないかという疑問があるのですが。これはできるようにすべきではないかと思います。

 基盤整備に関しては国の施策としてシナリオ書きができていないということです。10年先にわれわれがどうならなければいけないか,どうあるべきであるかということを考えた施策というのが非常に弱いのではないかと思います。

 厚生省はどちらかというと,医療事故が起こらないでできるだけ安く効率のよい医療が行われていればいいわけで,それを目指していろいろなレギュレーションをしています。けれども10年先,このままの状態で皆が足踏みをしていたらどうなるかというシナリオ書き,そして10年先には何をしていなければいけないかというシナリオ書きがないように思います。

 実はそれを製薬メーカーでも真剣にやってほしいとお願いしました。一部では取り組まれていると思うのですがこれは,他人ごとのように言うのではなく,われわれがやらなければいけないのです。

 それが決まると, 5年プロジェクトのためにはどうしなければいけないか, 3年先に CRCはどの程度になっていなければいけないかということが決まってきます。そこで予算の問題になり,ここを重点的にというような話が出てくるのではないかと思います。そしていまはもうその時期ではないかと思っています。

中野 日本で日本国民の健康を守っているのはどこか,行政でいうと厚生省なのかというと,厚生省にも確かにメインの部分はありますが,教育の部分は文部省にいったり,いろいろなところにバラバラになっています。ですから,日本国民の健康を守る省というのがあったほうがよいのではないかという印象を前からもっています。特に私は文部省の管轄下にいますので,厚生省と文部省が連動していないことがわかります。

 例えばお金の動き一つにしてみてもそうです。年度が替わると非常に動かしにくいというのも,現場の感覚に合わないし,社会の通年からいえばやはり常識はずれだと思います。そういったものはやはり情報公開して耐えられるものにしていかないと,いまのままだとぎくしゃくして,それはどこかが悪いからできないのだという話になってくるというような感じがします。

 きょうは自由な感じでお話しいただきました。これが本当の意味で日本に臨床試験が育つための何らかの資料として役立つことがあればと願っています。

 時間がまいりましたので,このカンファレンスを閉じさせていただきますが,本日は長時間にわたりご討議いただきありがとうございました。

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